“椿”にちなんだ作品

更新日:2024年01月24日

つばきと富士の写真

椿にちなんだ作品や建物

木下杢太郎 百花譜つばきの陶版

松川遊歩道には、木下杢太郎の作品があります。
伊東出身の木下杢太郎(本名太田正雄:1855〜1945)は、幅広い芸術分野、医学会で独創的な業績を数多く残しました。
百花譜は、晩年の1943年10月から丹念に写生した900点近い作品を集めた植物画集です。繊細で緻密な学者の目と芸術的なセンスの高さを感じさせ、植物の姿をよく表した傑作です。
椿を描いたものは、伊東のものを含め5点あり、1枚は杢太郎記念館入場券の図柄になっています。

椿の郵便ポスト

七宝焼きで椿の図柄を配した郵便ポストが、伊東市役所バス停前にあります。
1994年椿サミット開催を記念して、七宝作家の樋村允彦さんにより制作されたものです。

文学作品

与謝野晶子

伊豆の海 青く温泉 靄しろし 柑子実り 椿花咲く

与謝野晶子は、夫鉄幹と共に1930年以降毎年1〜2回は伊東を訪れました。当時は汽船で伊東につき、新詩社の縁で抛書山荘や岡崎別荘に滞在しました。夫婦がいで湯や自然の風物を楽しみながら市内各所で詠んだ歌が多くあります。上の歌は、絵葉書にも掲載されました。

伊東氏 占めて三浦に 対したる 半島の春梅 椿花咲く(法専寺にて)

晶子が初めて伊東を訪れたのは、1930年のお正月で、2月には宝専寺で歌会を催しました。
そのとき、和歌7首のうち、上の歌も含めて4首の中で椿が歌われています。

水原秋桜子

磯魚の 笠子も赤し 山椿(城ヶ崎自然研究路 橋立付近にて)

大正末期から昭和にかけて俳壇の重鎮であった秋桜子が、この地で詠んだという自筆の句が真鶴産の小松石に刻まれています。やぶ椿の林が続き、磯釣りの名所になっているこの地にピッタリの句碑です。
1972年5月、句碑の除幕式には水原秋桜子夫婦も臨席しました。

尾上紫船

温泉の煙 こりて流るる 波璃の戸に 山の椿の 一花ぞ濃き

尾上紫舟は大正の頃から伊東に別荘を持ち、この地をこよなく愛して、毎年数ヶ月をこの地で過ごしました。
伊東での作品も500首を超えて、上の歌は「伊東温泉の印象 伊豆の泉都」と題した絵葉書集にも記されました。

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