伝・伊東祐親の墓所(市指定史跡)
でん・いとうすけちかのぼしょ
伊東家は、藤原家を祖先とする一族で、伊東祐親が活躍した平安時代後期には、伊東のみならず、河津町や伊豆市の一部を所領していました。
祐親は、同族である工藤祐経との世襲のもつれから、赤沢の椎ノ木三本付近で、嫡男河津三郎祐泰が討たれており、このことが「曽我兄弟の仇討ち」につながっていきました。
また、伊豆に流された源頼朝を丁重に預かっていましたが、娘八重姫との間に出来た千鶴丸に対し、苦渋の決断をしいられたと言われています。
源平合戦では頼朝から、勢力を増す源氏側に付くことを打診されましたが、平氏への忠義をつくし、自刃したと言われています。
墓は安山岩の五輪塔で、空風輪、火輪、水輪、地輪の時期の異なる部材の組み合わせで構成されている。
文字ははっきりとした薬研彫りで刻まれ、高さ140.5センチメートルという大きさから、領主祐親を讃えるものとして製作されたと伝えられてきた。
空風輪、火輪、水輪は14世紀前半、地輪が13世紀の製作と思われる。
墓所に駐車場はございません。見学に訪れる際はご注意ください。
墓所から徒歩約5分の位置に伊東市役所駐車場がございますのでご利用ください。
指定年月日 | 1979年9月26日 |
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指定番号 | 市17号 |
高さ | 140.5センチメートル |
製作時期 | 13〜14世紀 |
周辺案内図
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更新日:2022年03月04日