東浦路(朝善寺ー網代峠区間)(市指定史跡)
ひがしうらじ(ちょうぜんじどうひょうーあじろとうげくかん)
伊豆半島の交通手段は、いくつもの険しい山々があることから、遠方への主な手段は、船を使った水運が主体でした。
江戸時代になると、温泉湯治が盛んになり、次第に陸路も整備されはじめ、幕末までには今の旧街道が整ってきました。
江戸時代の文献からは、東海岸の陸路を、老中松平定信をはじめ、浦賀奉行小笠原長保、安積艮斎、吉田松陰、川路聖謨などが通行していることがわかります。
また、1886年陸軍陸地測量部の地図からは、現代の道路も旧街道の一部を利用していることが分かります。
当時は、現在の国道135号のように統一された呼称は無く、文献や石造物から「東浦路」、「東浦筋」、「東浦道」、あるいは、その土地で生活している人にとって、「下田道」や「伊東道」などの進行方向先を示す呼称が使用されていました。
大正14(1925)年に伊東−熱海間の自動車道が開通し、交通形態が大きく変わっていきますが、宇佐美−網代間は全くの新道であったため、旧道は道路の拡張などによる改変を受けませんでした。
このため、宇佐美‐網代間は旧街道の面影を色濃く残しており、歴史的にも非常に価値が高いことから、末永く後世に伝え残す必要があります。
指定範囲の詳細は下記ファイルをご参照ください。
東浦路(朝善寺道標-網代峠区間)のご案内 (PDFファイル: 35.5MB)
指定年月日 | 2018年4月19日 |
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指定番号 | 市40号 |
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更新日:2019年07月01日